彼女がヒロインになるために。―俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8―

 燃えたぎる情熱が持て余されているため二年ぶりにブログに綴ってみます。
 以下述べることをまとめれば「今回の話は最高だった」ということになります。
 世間では俺妹オワコン化したという話が出ていたりするみたいですが、一点の曇りなく言いきりましょう。素晴らしい話だった、と。まあオワコンって何なんだかちゃんと分かってないですが。
 単に俺妹の感想だけ読みたい方は第3章だけ読めばイイと思います。

1.実妹もの、について。
 さて、そもそも『俺妹』は私が勝手に位置づけているところの「実妹ヒロインもののラブコメ」のお話です。勝手な位置づけですが、そのまんまですね。ヒロインに実妹がいてラブコメします。メインヒロインだと尚良いです。そんな数あるジャンルではないと思うですけれど。
 『俺妹』を含め、実妹がメインヒロインである、というのは、ラブコメとしての最終形に限界と、逆に無限の可能性があります。限界というのは、実妹と恋仲になって終わる、という選択肢が存在しない点(倫理を突き破れば別ですがそれではラブ"コメ"ではありません)です。無限の可能性とは、実妹の扱いを誤らなければ普通のラブコメでは「サブヒロイン」で終わるあらゆるヒロインと繋がる可能性がある、ということです。
 但し、そもそも最終形をきちんと描いたようなラブコメは少ないでしょう。『とらドラ』なんかは結末をある程度描いた作品としてあげられると思います。が、大抵の場合、ヒロインとの関係性は大まかにぼかしたまま(サブヒロインも含めた)曖昧な状態から「少しだけ進展して」終了する、というのが無難かつ一般的だと思います。きちんと統計を取ったわけではないですが、大体の印象で。
 故に、実妹ものでも、実妹が主人公に一番近いポジションを持続し、その周りにヒロイン達がいる、という光景そのままで終了させることも可能です。しかしながら、それだと他のラブコメと大差ありません。その場合、実妹は単なる記号、キャラ付け、虚像となります。「実妹だからこのような展開、キャラクターになる」ではなく、「このキャラクターを実妹という位置に配置した」で終わります。意味がないわけではない(実妹という立ち位置によって許されることもある)ですが、ぶっちゃけ他のヒロインで補完可能です。
 折角「実妹」をヒロインとして出すなら、実妹だからこその展開、キャラクターというものが欲しい、と思うのは贅沢でしょうか。あまり前例がないことだけは確かです。倫理を突き破れば、18禁漫画などでは盛んで表現も豊かな分野かとは思いますが、ラノベのラブコメでは別です。別に最終形が全てである必要はなく、ラブコメなんだからドタバタに終わる、というのは良い展開だと思いますが、実妹ものは最終形を描ける素地がある、と私は考えています。
 その素地とは何か。それは、血のつながりです。実妹は、血のつながりという強固な絆を持っています。「恋仲」としてではなく、「家族」として主人公とずっと共にいることが出来ます。その絆は物理的な「血のつながり」により壊れることはなく、かつ倫理的基準から恋にまでは発展しないが為に主人公を独占する必要性がなくなります。恋仲なら他のヒロインは全て「恋敵」という位置づけを脱することが出来ず(ヒロイン同士の仲が良かろうが)主人公の側に相思相愛の「恋仲」としているためには最終的に一人が抜けだし主人公の寵愛を一番に受けなくてはならないです。しかしながら実妹は「恋仲」として、ではなく「家族」として主人公の側にいることが出来るため、話の中で実妹一人が主人公を独占していなくても矛盾しない、ということになります。なので、そこに一人、(ないしはそれ以上の)ヒロインが「恋仲」としていたとしても、その実妹の立ち位置は失われません。そのため、実妹の存在をメインヒロインとして損なわずに、主人公と「恋仲」を形成するヒロインが存在する結末を考えられる、ということです。もちろん、恋仲になるヒロインは血のつながりで出来た絆に分け入って主人公とその実妹、双方の中に自らの存在を確立させる必要があるのですが。即ち、今回の黒猫です。ようやく今回の『俺妹』と繋がりました。

2.『俺妹』という作品全体のステップアップ
 前置きが長ったらしくなってしまいましたが、そこで今回の『俺妹』についてです。
 8巻では、『俺妹』という話全体の「ひとつの通過点として」、黒猫と京介が恋人同士となり、そして別れます。
 もちろん、そのいちゃいちゃ具合もラブコメの面白さのひとつとして堪能させてもらったというのはあります。単純に萌えたか、といわれればええ萌えました、と答えるのが正解でしょう。しかし、上記のような「実妹ヒロインものの最終形」を考えたとき、今回の「通過点」はとても大きな進展を、実妹をメインヒロインとして据えなおかつ最終形に向かうために最高の転機をもたらした、ということが出来るのだと思います。 
 具体的にその「最終形」を挙げてみるならば、黒猫が自身のノートで示した『理想の世界』ということになります。桐乃がいて、京介がいて、そこに受け入れられた黒猫が存在する。シンプルながら、これが上記のような、主人公がいて、実妹がいて、そこにヒロインが存在する、という最終形の縮図です。
 今回の黒猫は、自らの勇気と京介を思う一途で激しい気持ちから京介との「恋仲」の座を一時的に勝ち取ります。しかしながら、「実妹」である桐乃の感情をとてもよく理解して、理解しすぎるほど理解していて、『理想の世界』には至らない状態、つまり不完全な、まだ兄妹の絆を打ち破り、その中に入って、笑顔で迎え入れられる状態になってないにもかかわらず恋仲になったことを自覚しているため、理想型に至るステップとして「先輩と、別れる」という儀式を入れたのでしょう(もちろん、他にも理由はあるかもしれません。転校し「先輩」ではなくなるために、「先輩」との関係を絶ち新たな関係を作る為でもあるかもしれません)。
 黒猫は、恋しい京介と一度別れてまで、本当に『理想の世界』という結末を迎えるための一歩を踏み出したのでしょう。

 一方、桐乃は今回、京介の前で自身の思いをぶちまけ、京介が今までしてきたことを返すことで、話に二つの進展をもたらしました。
 一つは、前巻との対で、「もし兄に/妹に恋人が出来たら」という気持ちを知り、そしてその気持ちを互いに共有することで作中にあるように『兄妹に戻ることができた』こと。これで、京介の隣にありつづけるための兄妹の絆が深まり、簡単には破れない、一つの基準のようなものができました。
 二つ目は、桐乃が自分の気持ちに素直になり、『我慢して』京介と黒猫の「恋仲」を認める、というのを止めたこと。逆に言えば、桐乃が『我慢』することなく「恋仲」を認められたとき、そこには黒猫の『理想の世界』が生まれることになります。『俺妹』の話が続く限り、桐乃はもう『我慢して』いくことはなくなったでしょう。それはつまり、『理想の世界』に至れるヒロインは黒猫だけではなくなったことを意味します。黒猫が友達だから、その真剣さが分かっていたから『我慢して』いた桐乃ですが、これからはそうそう簡単に京介と恋仲になることはないという平等性が生まれ、誰にでもチャンスが巡ってきたことになります。あやせ、麻奈実、etc。もちろん、黒猫は一歩リードしていますが。この「誰でもヒロイン可」状態は、一見、前(黒猫告白前)と変わらないようですが、桐乃の立ち位置がはっきりしたことで、ヒロインには「京介との関係性」だけでなく「京介と桐乃との関係性」が必要になることが明白になりました。

 黒猫、そして桐乃という二人のやりとりは、吹っ切れて素直になって気持ちをぶつけ合った末に、『俺妹』全体を、ただイベントをこなしていくだけのラブコメではなく、実妹である桐乃をしっかりと核に据えた「実妹ヒロインのラブコメ」、桐乃が実妹であるからこそ面白くなるラブコメ、というものに進化させたのだと感じました。
 その点で、今巻は『俺妹』という作品自体をステップアップさせた話であった、と思うのです。

3.単純に面白かった
 ぐだぐだ言いましたが、ぶっちゃけ、単純に萌えました。面白さをそこに求めたっていいと思うのです。
 あやせさんフラグ立ってたんですか。はやみんの声で全部脳内再生されました末期ですね。麻奈実さんは慈悲深すぎです。麻奈実△。慈愛の魔女になれそうですね。簡単にQBと契約しそうで怖い。桐乃の抱きつきは反則だと思います。兄妹だからこそでしょうが、こんなんされたら落ちる。というより今巻の桐乃は全体的に可愛さが目立ちましたね。ニコニコ大百科の桐乃の兄ラブ行動に入りそうなものがわんさか。 そして何より黒猫。恥じらってます。浴衣黒猫です。そして! 聖天使神猫ですよ!? figma欲しいです。切に。
 なんだか、俺妹ラジオの冒頭、キャラクターとしての掛け合いの内容が今巻に反映されてましたね。黒猫の草食弁当、あやせのおしおきライターなど。あと、黒猫の妹たちの登場とかどう見てもPSPです本当にあ(ry。メディアミックスを多分に生かしてましたね。批判も噴出しそうな手法ではありますが、私個人的には好きです。
 
 こんな感じで、普通にラブコメとしての面白さ、それに『俺妹』全体、ひいては「実妹ヒロインもの」全体の新たなステップアップを果たしたこと、そこに至るまでの桐乃、京介、黒猫を中心とした人間模様と感情や言葉のぶつけ合いや変化、そういったものを含めると、「今回の話は非常に良かった」という結論に至らざるを得ないな、と感じたのです。
 ああ、こんなにばーっと語るのは久しぶりです。それだけ読了感が最高でした。次巻以降にまた期待しつつ、筆を置くことにします。

影から恋する頑張りやさん。−耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳−

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

 ぶっ飛んでますよね。書き方が。というか主人公が。ここまで堂々としたえろばかは珍しいと思われ。ブルマ●娘とか馬鹿じゃなかろうか。何故そこに●を入れるんだ。良い子は「っ」を入れましょうね。nとか入れちゃダメですよ。

 あくまでサブキャラですけどね、良くここまで無駄にキャラを作ったな、という感じの娘がイ=ウ。細くって、髪短くって、美少年みたいな可愛い外見の内には、何事にも全力で取り組んで、すぐに(陰ながら)行動にしてしまう真摯さと素直さ。頭のよさはぴか一、個性的ではあるけれど頑張りやさんが多いこの作品の中でも誰よりも真面目じゃないかといった感じの女の子。キャラも立ってて主人公を気にする女の子。いいじゃないか正ヒロインでも。
 といっても、こういうキャラはえてして一番手にはなれませんよね。
 確かに引き立て役としてとてもいい位置周りなのは確かです。物語が何か転換を迎えるとき、こういうキャラが間に入って主導する。正ヒロインがやってしまったら、それは物語上クライマックスになりかねません。正ヒロインの起こすイベントはエンディングまっしぐらなのです。今回の作品なら、旧共和制語の勉強会というのは、主人公レイチがクラスメイトと関係を深め、最後の展開へと持っていくための布石としては重要ですが、直接ラストに関係するイベントはやはりネルリ及び彼女の国シャーリックの人々の話。直接の引き金にはなれないんです。
 正ヒロインになれない、というのは、引き立て役としてちょうどいいということの他に、キャラは立っていても中途半端だからというのもあります。主人公に思いを寄せる、というのはいいですが、そのきっかけが図書委員の一目ぼれ的なもので、それならそれで、思いを伝えられなくてあたふたしていれば面白いかもしれませんが、あっさりすぎるほどにあっさりとラブレターなんか書いちゃってますし(やり方が電波的だけれども)。真面目さがマイナスになっているというのもありますね。読者が(特に現代的若者が)読んだとき、可愛いし、がんばってるけど、真面目すぎてめんどくさくないかなぁ? と考えてしまう可能性があります。この作品では特にそういう書き方がなされている気がしますし。
 まあ残念ながら正ヒロインとしては活躍できないであろう彼女ですが、ちょっと思ったのは、「委員長キャラ」として正しいのはこういう娘なんじゃないか、ということです。また機会があれば委員長については話すかもしれませんが、一般的にギャルゲーとかラノベとかで委員長と呼ばれる娘を考えるなら、「ツンデレ、時におせっかい、気が強い、きりっとしていて、でも内面はとても乙女」みたいな感じだと思います。テンプレ的な。でも実際委員長として一番頑張ってくれそうなのはむしろイ=ウのような娘じゃないかと思います。普段は穏やかで、皆に勉強を教えつつ、クラスの人がピンチだったらきっちり助けに入る。誇るときは誇り、怒るときは怒る。素直で真面目で一生懸命。でも自分が一番前には出ない。何て最高なんだ、と思うのは自分だけかな。

 とりあえず、話が長く続いてこの娘がいっぱい報われる日がきますように。

双子、サブキャラにいたら。 ―会長の切り札―

 せっかく月にいくらかラノベだの漫画だのを読んでいるのだから、少し感想を、とか思って、とりあえず今日2巻通して読んだこれでもいってみます。
 
 クライマックスを長くだらだらと続け、結局面白さの頂点がわかりにくくなってしまう作品と、そこに至るまでの過程を大事にしてこつこつ積み上げていくのだけれど、起こっていることがとびとびすぎて全体の一貫性やバランスを失してしまった作品、どっちも欠点が際立っちゃって、読んだあと物足りなさとかむなしさを感じてしまう気がするんです。ちなみに今回は後者。――と書いてみたはいいけれど、作品の内容について語ったって楽しくないし、語る言葉をそんなに持っているわけではないので、この日記ではキャラクターのことについてばかり取り上げようかと思ったり。思わなかったり。

 二冊読んで思ったのは、麻衣ちゃんが芽衣ちゃんに比べて待遇が悪いなぁ、ということ。
 サブキャラクターとしての双子、と言うのは、上手く作品の中に登場させて、かつそれぞれが何らかの違いを見せつつ、双方ともにある程度活躍すると言う状態がベースにないと、話の中で双子と言う特性を生かしていくことが難しくなります。全く違う二人で、登場は大体同じくらいと言うならば、双子という枠にあてはめるより関係ない二人、にした方が話のバリエーションは増えるでしょう。逆に、全く同じような二人のうち、一人ばっかりが活躍! というのは、もう一人の存在意義が疑問視されます。もちろん、あえてそういう設定をたて、話を面白くすることも出来るでしょう。ただその場合は、メインキャラクターレベルとしての双子という扱いが多くなる、そんな気がします。
 さて、麻衣芽衣ですが、「親の趣味で」麻衣ちゃんは男の子のように、芽衣ちゃんは女の子のように育てられます。ちなみにどちらも女の子。髪型やしゃべり口調、役回りが異なっていて、双子だと認識できるのは二人で掛け合っているときや、人物描写として地の文で語られているとき。というわけで、別に双子じゃなくても普通に機能するキャラクターなわけです。ボクっ子でショートヘアーな女の子と積極的で活発なツインテールの女の子。ほら、二人に分けても機能しそうでしょ? そんな中であえて双子として登場させているのだから、物語にそれなりに重要となりえる、もしくはキャラの魅力を押し上げうる、もっと決定的に似ている点と言うものがあってもおかしくはないわけです。逆に、似通ってない部分を積極的に利用して、一方があるところで活躍し、もう一方は別の場面で別の活躍をする、そういう展開もいいかもしれませんね。とまあこんな感じでいくらでも麻衣ちゃんの活躍の場はあるはずなんですが、あまりない。特に二巻。だって彼女はいなくても物語が成立しますよ。恐らく芽衣が一人っ子でも進められるのでしょう。何がすごいって、挿絵とかをみると、芽衣ちゃんは全部で4枚か5枚くらいはいるのに、麻衣ちゃんは(本の中で)いままで絵が出てきていない。芽衣は地味に活躍していて、発言もそこそこあるのだけれど、同じくらいキャラが立っててもいいはずの麻衣は何故こんなにも冷遇されているのでしょうね。ボクっ子、頼まれると断れない感じの流されやすさ、仕事はちゃんとやろうと頑張る、敵であっても助けてくれた人には素直に感謝出来る優しさ、快活な妹に対しての穏やかさ。十分キャラ自体は立ってると思うんですけどね、これらの情報が本当に断片から想像されたものでしかない程度の活躍で終わってしまっているのは残念です。まあ、三巻とかに期待すればいいんでしょうか。・・・・・・無理かな・・・・・・
 とりあえず、最後に一番率直な感想として。カラーで麻衣ちゃんが見れますように。

瀬※たんざく

 日記、ていうのは、一日一回書くから日記、て言うのかもしれない。じゃあ三日に一回なら? 一週間に一回なら? 辞書によれば、その日あったことや思ったこと、らしいから、いつやろうが何をやろうが間違ってはいないと思う。でも、その日に思ったことじゃあなくてもあとになってふと良かったと思うこともあって、それゆえにこの文章は日記じゃない。あったこと考えてことをつらつらしゃべるんじゃないから。いつ更新するかはわからないから。好きにやるだけだから。なにより、なにか、文章を、書きたいから。

 たんざくの似合う季節まで、気力が続いてますように。